<2011年1月に執筆したコラムです>
私の育った地域では、上下(先輩後輩)の関係というものは小学校には存在しませんでした。中学校に進んではじめてそのような風習があるのに気づきます。私が育った加古川市米田町という町は、皆宝殿中学校に進むことになっていました。私が通っていた川西小学校(加古川という川の西にある小学校なのでこの名前がつきました。兵庫県川西市とは何の関係もありません)は、1学年3クラスの小さな小学校でした。宝殿中学校は高砂市米田町の米田小学校というジャンボ小学校と加古川市の川西小学校との2つの市にまたがった地域の組合立中学校という珍しい中学校でした。
高砂市の米田小学校の7クラスから8クラスの児童と、私たちの3クラスの小学校。約倍近くの差があるため、私たちの小学校出身の児童たちは、ともすれば急に増えたその人数に圧倒されてしまいます。私の場合はどちらかというと社交的であったし、気も強いほうだったので気後れするという事はありませんでした。それでも、もう一方の小学校から来た児童たちとはうまくやらなければならない、というような心積もりはありました。
中学校に入るとやはり部活での友達が第一となります。中学校の部活といっても、授業が終わってからの午後3時ぐらいから6時ぐらいの3時間は練習します。土曜、日曜も休みなく、ほとんど一日中練習でした。それだけの時間を一緒に過ごすのですから、友達は自然とその中からできます。1学年12クラスもあったが、私のクラスにも5、6人野球部がいました。それもそのはず、野球部は人気クラブで確か50人近くが入部しました。
1年生はほとんど何もさせてもらえず、声を出して球拾いをするだけ。野球部の顧問には2人の先生(監督・コーチ)がいましたが、その2人が練習に顔を出さない時は、とにかく1年生はいじめにも近いランニングを強要されます。1周3、4分かかる距離を競争して、1位から順番に抜けていく。競走馬の馬役を1年生はやり、それを上級生たちは楽しんで見ています。それだけなら、どうという事はありませんが、この時代によくあった部室での体罰などは当然のようにありました。殴られたり、蹴られたりは当たり前。これはさすがに学校の大問題となりましたが、挙句の果てには上級生が下級生からお金を巻き上げたりしていました。
体罰はあったがそれでも大事に至らなかったのは、この当時の子供達は殴りなれていたのかもしれません。つまりどんな殴り方をすれば致命傷にならないのか心得ていたわけです。現代の子供達のように一度も殴った事がないのに力任せに殴ったりすると、相手も自分の拳も怪我するでしょう。この時代がよかったとは決して言えませんが。
私に対して、川西小学校出身の上級生は、小学校の頃からある程度野球が上手で名が売れていただけにあまり無茶はしませんでした。それでも米田小学校出身の上級生にしてみればそんな事は知りません。それでも、その後も付き合うことになる川西小学校出身の先輩が、かなり私をかばってくれた事を覚えています。今思えばその当時からある程度私は要領がよかったのでしょう。
野球の方は3年生がプレーしなくなる夏までは、球拾いとランニングしかさせてもらえなかったから野球の技術は当然伸びる事はありませんでした。たくさんいた部員も、先輩のいじめ?やしごきによって半分以上辞めていきました。私自身はその間、一度も辞めたいと思った事はありませんでした。
勉強の方はと言えば、こんな毎日だから小学校の時のようにはいきません。少しずつ成績は下がっていったのは仕方がないことでした。それでも練習が6時に終わってから塾にも通っていたし、テスト前には充分テスト勉強する時間もあったことから学校内で上位には入っていました。中学校では学校での模試試験なども行われました。その偏差値によってどの高校にいけるかある程度見当がつくのですが、そんな事よりも、小学校の時のようにそのテストの結果が楽しみで仕方ありませんでした。もちろんどの高校にいけるかというような事もある程度は気になっていましたが、それよりも偏差値の数字ばかりが気になっていました。その数字のためにテスト勉強を一生懸命していました。
アメリカで育った私の息子を見ていると、小テストがしょっちゅうあって宿題も毎日たくさん出ます。その代わり期末テストのような大きなテストで成績がほぼ決まってしまうというようなことはありません。私の場合は、普段、塾以外はそれほど勉強していませんでした。中間テスト、期末テスト前は部活が休みとなるため必死で勉強しました。いわゆる詰め込み型勉強でした。その影響か、その当時勉強した事はほとんど覚えていません。本当の意味で身につきませんでした。その点アメリカの教育は、毎日少しずつ勉強しなければ成績が上がらないようになっています。もちろん日米共に勉強しない子はどっちにしてもダメだと思います。しかし、勉強する子供の場合は、アメリカの方が身につくと私は思います。
小学校時代よりは先輩後輩問題で大変な思いをしましたが、それでも楽しかった思い出もたくさんありました。夏休みに1年生全員がキャンプ地のような場所に泊まり、キャンプファイアーやオリエンテーション?などのイベントを行いました。親抜きで泊まりに行くなどは中学生ならでは、です。クラスの皆との親睦も図れたし、中学生活を楽しむ上でよい行事でした。もちろんそういう時はクラスの女の子の話も出ていました。ただ、私は晩熟だったのかその手の話は聞く側でした。
あと、この年齢だといつも話題になるのがいじめの問題。私は基本的にはいじめに合うことはありませんでしたが、ある時期1ヶ月ぐらいだけ、皆に無視されたことがありました。クラスの一番力がある人と喧嘩か何かをしたからです。その喧嘩相手に無視されるのはどうって事はありませんでしたが、普段私に何も言えないような人が、この時とばかりに偉そうにしてきたのには腹が立ちました。その場はもちろん我慢していましたが、その人が後から痛い目に逢ったのは言うまでもありません。子供のうちでもタイミングを見計らう、周りの空気は読んで行動しなければ、私の時代でも長期に渡っていじめに合う事になっていたでしょう。話を聞いていると、私の時代に比べてかなり陰湿なものが今もあるようですが、子供時代にそれらのいじめからどう抜け出すか。親が学校に出て行くよりも、子供にどうやったら皆に好かれるのか? あるいはいじめっ子をやっつける方法(暴力ではなく)を伝授する方が、子供の将来のためによいのではないでしょうか? それぐらい子供と一緒に考えてやれる時間を親はとるべきと考えます。
長谷川滋利