私は政治には特に深い興味はないですが、ビジネスや投資などにも関係してくるため、「ビートたけしのTVタックル」などの政治・経済に触れる番組はチェックするようにしています。その中でアメリカ合衆国や中国、北朝鮮などの防衛の話になると、それぞれの国がそれぞれの利益のために存在するような事についての論議となります。今回はそれらを含めて、国はどうあるべきか? あるいは私たち個人は何のために生きるのか? というテーマで述べたいと思います。
日本に住む日本国民であるならば、通常は日本の国のために生きます。あるいは日本の国益になるように生きるというのが本来の姿でしょう。アメリカ合衆国、中国、韓国などに住む人々は間違いなくそう考えています。しかし、日本はというと戦後、アメリカによる教育によってか、日本人は日本国のために生きてはいけないような、そんな雰囲気があります。
私がアメリカに移り住んでから、日本のその様な矛盾がますます目に付くようになりました。例えば、始業式や卒業式で国旗を掲げてはならない。国歌は歌ってはならないなど、真相はどうであれ、「何かおかしいぞ」と思う事がしばしばです。よく考えれば一昔前ですが、私が日本のプロ野球在籍時代には、試合前に国旗に向かって国歌を斉唱する球場は近鉄の藤井寺球場だけだったように思います。一方、アメリカではメジャーの試合の前はもちろん国歌を斉唱します。選手たちも忙しい試合前でもそれに間に合うように、監督、GM、オーナーからうるさく言われます。その辺りは外国人に対しても徹底した教育を行います。ファンも同じです。全員が帽子を取り、国旗に向かって真剣に国歌を斉唱します。ほとんど誰も喋りもしません。この団結は何なのでしょうか? 9・11のテロ以降は、7回にガッドブレスアメリカをこれまた皆で斉唱します。この時は映像で国旗に向かって忠誠を誓う場面や、戦争で戦う戦士の姿が映し出されたり、アメリカの歴史が映し出されたりするスタジアムもあります。アメリカ人でなく外国から来た旅行者でもそれらを見て感動します。
メジャーリーグの選手もそうですが、アメリカは様々な人種が集まった国家です。原住民と呼べるのはアメリカインディアンだけです。アメリカ人と呼ばれているアングロ・サクソン人ももとを正せばヨーロッパからの移民です。ラテン系の人々、アジア人、本当にたくさんの人種が集まっています。それらの人たちに対してアメリカに忠誠を誓わすには、この様なスポーツやエンターテイメントのイベントで国歌斉唱をさせたり、あるいは子供達への教育しかないのです。アメリカ経済は中国と争うようになっているとは言え、未だ世界一なのはこの団結力があるからでしょう。
日本の場合は、国のために生きるというとまた昔の戦争を繰り返すのかというような話になってしまいます。
核の保有問題についても同じような議論になります。その辺りは彼ら専門家に任すとして、私が言いたいのは、日本に住む日本人はもう少し日本国のために物事を成すようにした方が良いということです。私の知る限り、今の若い人たちが日本のために働くのだというのを聞いたことありません。それもそのはず、その様な教育を受けた事がないからです。韓国などでは今でも強制的に軍隊に徴兵されるから、その辺りは当たり前のように叩き込まれます。
確かに時代はグローバルな社会になっていて、将来国自体の存在がなくなっていくというような議論も出ます。しかし、今現在はアメリカを中心にして世界のほとんどが国単位で物事を考えている。日本だけ夢のような話をしていては世界から取り残されてしまいます。何人かの専門家が述べているように、何か起こっても武力行使せず平和主義で行く方法もあるにはあります。つまり殴られてもじっと我慢をし続けて、しまいに相手が同情するのを待つということです。ただ、それだけのことをするにはかなりの覚悟がいります。私はそれだけの器量は今の日本国民は持ち合わせていない気がします。
私はアメリカに住んでいますが、日本の事、日本のプロ野球の事は常に気になっています。これまで私をここまでにしてくれたのは日本、あるいは日本の野球界のおかげだと思っています。これから先は、もちろん自分のためにも働きますが、それとは別に、日本のために日本の野球界のためにも生きたいと思っています。もちろん20年以上住んでいるアメリカについても同じ思いです。日本とアメリカのために生きたいと思っています。日本に住む日本人(特に若い世代)も、もっと日本国のために頑張ろうという意志を持たなければ、あるいは教育しなければ、よりグローバル化する社会で日本は活躍できないのではと考えます。
(本コラムは、2010年に執筆した内容に加筆・修正しています)
長谷川滋利