ある貧しい農夫が、飼っていたガチョウの巣の中にキラキラと輝く黄金の卵を発見した。最初は誰かのいたずらだろうと思って捨てようとしたが、考え直し、念のために市場まで持っていく事にした。すると、卵は何と純金だった。農夫はこの幸運が信じられなかった。翌日も、同じ事が起きた。やがて、農夫は大金持ちになった。ところが、富が増すに連れて欲が出て、せっかちになっていった。1日1個しか生まれない黄金の卵が待ちきれず、ついにガチョウを殺し、腹の中の卵を全部一気に手に入れようと決めた。そして、いざガチョウの腹を開けてみると中は空っぽだった。黄金の卵などもちろんなく、そのうえ黄金の卵を手に入れる手段さえも、農夫はなくしてしまったのだ。黄金の卵を生み出してくれるガチョウを殺してしまったのだ。
この物語は私達に自然の法則、あるいは原則を教えてくれます。ほとんどの人は黄金の卵のことだけを考えてしまいます。つまり結果ばかりを考えてしまうのです。会社では目先の収益ばかりを考えて会社への投資をしない。ガチョウの世話をしないで黄金の卵だけを求めていてはいつか黄金の卵は生まれなくなる。この物語のようにガチョウを殺してしまっては元も子もないです。会社でも、その他の組織でも、これほどひどい話ではないにしても近いことは行割れています。会社や組織に限らず個人でも同じです。目先の結果ばかりを求めていては、いつか行き詰ります。
私の野球のピッチングの場合、得意球であるスライダーで相手バッターを抑えられるからといって、その球種ばかりに頼っていてはいつか頭を打ちます。私のような変化球投手でもファーストボールを基本にピッチングを組み立てなければならないです。特に練習ではファーストボールをコーナーにきっちり決める練習や、腕をしっかり振って投げる練習をすることが大事です。ファーストボールをアウトサイドに決める、そのコースからスライダーを曲げる、あるいはボール1個か、2個分それよりインサイドから曲げる。このファーストボールを磨く行為は、ガチョウを毎日世話する事と同じです。この行為をなくしてしまっては長期に渡って成功は出来ないのです。
人間関係でも同じ事がいえます。私がアメリカに移住してきた時に親切にアメリカ生活のことを教えてくれた人。あるいは私がアメリカのことをほとんど知らないのをいいことに、うまく利用しようとした人。後者の場合は最初のうちはOKでしたが、2,3年後に私がアメリカ生活に慣れた頃には、その人がいい加減なことを言ったり、したりしていたことが分かってしまいます。前者の場合は誠実に人に接するために後者よりも大変ですが、長い目で見れば本当の友達ができ、将来自分に返ってきます。私たちは前者の人たちとしか現在付き合っていないし、私たちがアメリカに来たばかりの人と接する時は、前者のような人になろうと努力します。(確かに移住した当時は誰の手でも借りたいぐらい大変なので、どんな人とも付き合いをしなければならなかったですが・・・)
子供の教育に関しても、子供が小さいうちは大きい声を出して、強制すれば子供は言う事を聞くから、それでいいと思ってしまいます。しかし、そのような短期的な処理をしていれば、子供がある程度の年齢になったら親のいうことは聞かなくなってしまいます。もちろん叱ることは必要ではありますが、その場しのぎの叱り方ではなく子供を納得させることができる正しい叱り方でないといけないのです。あるいは叱り方に一貫性がなければならないのです。
逆に甘やかすという点でも、子供に好かれるという黄金の卵を求めて、常に子供を喜ばせようと、子供の望むゲームなどを与えてしまい、子供の望むことは何でもOKしてしまいます。その結果、子供は大人になってからモラルや道徳観を持たない、躾と責任感のない人間に育ってしまいます。子供が小さい頃、クリスマスや誕生日が近くなると、私たち夫婦は子供にどんなプレゼントがいいか考えました。それが意味のある物でなくてはならないのです。ビデオゲームのソフトウエアを買ってあげれるのは簡単です。もちろんそうすれば子供はその瞬間は喜ぶでしょう。しかし、本当に子供のためになるプレゼントを考えなければならないのです。
私が一番言いたいのは、常に黄金の卵を得たいのであれば、それなりの日々のガチョウに対する世話が必要だということです。もちろん目先の野球での勝利も必要ですし、子供の笑顔も見たいです。しかし、目の前のことにだけにとらわれていては、長期にわたる成功や良い人間関係は築けないと考えます。
(本コラムは、2010年に執筆した内容に加筆・修正しています)
長谷川滋利