マクスウェル・マルツ博士の著書「サイコ・サイバネティックス」の中で、他人を許すこと、自分自身を許すことについて述べられています。それらのことは野球などスポーツにも役に立ちます。
他人を無条件に許す事
人を無条件に許すこと。悪意、恨みを感じるような人間でもみな許し、過去をきれいさっぱりと清算すること。これは自分のため、自分自身の精神の安静のために重要です。私たちが他人に憎しみを抱いていても相手を傷つけることにならず、むしろ自分が傷ついてしまうのです。心の中の憎しみを放っておくと、自分自身をひどく傷つけることになります。だから他人<すべての人>を許すこと。もしこの第一のポイントを実行できないなら、他のポイントはすべて無効になります。あなたは、まだ未熟と言うことです。
自分自身を許すこと
自分を温かく見守ること。自分が犯したばかげたこと、他人に与えてしまった苦痛、今困りきっていること、過去の過ち、そんなものはみなきれいさっぱり忘れるようにすること。つまり過去を清算するのです。鏡の前に立ち、自分を許す。これを実行すれば、いやな気持ちもどこかへ飛んでいくでしょう。むろん、自分を許すというのはなまやさしいことではありません。ともすれば悪いほうへ悪いほうへと目を向けるようになります。なぜなら、最もタチの悪い批判者は自分だからです。けれども実際には自分自身を責めても無意味なのです。かえって、人間がだめになってしまうのです。
自分の一番の長所に目を向けること
「私たちの1日を不満だらけで始めるか、自信を持って始めるかは、本人次第なのである。どうせ2つに1つなのだから、自信を選択するほうがいいに決まっている」。すべてがうまくいかない日もあるでしょう。しかし、1日の始まりは不機嫌ではなく、自信を持って始めたほうがよいのは当然です。
自分の生き方を崩さないこと。
他人が何をしているか、何を持っているかなど気にかける必要はありません。自分のペースを守ることが大切です。あなたは他人とは違うのです。自分より走るのが速い人もいれば遅い人もいるのです。隣人のことなど忘れ、また同時代の人間より先を進みすぎているのではないかと悩んではいけないのです。仲間からはずれまいと、わざわざ自分のペースを落としているような人間は理想的ではありません。自分の生き方を崩きないこと。自分の生きたいように生きましょう。稼ぎたいだけ稼ぎましょう。やりたいことをやりましょう。自分自身の人生なのだから、他人がどう思おうが気にすることはありません。
私はメジャー移籍1年目に、先発投手からブルペンに回されました。それをテリー・コリンズ監督のせいにし、自分にチャンスを与えてくれない彼に対して恨みさえももっていました。日本プロ野球での最後の年、日本シリーズ、読売ジャイアンツとの対戦。3勝0敗とあと1勝で日本一になるという試合。日本での最後の試合の先発になると意気込んでいましたが、先発したのは他の投手でした。私はその決断を下した仰木監督を恨みました。
数年後には私自身これらの事は忘れることができましたが、それらの恨みをすぐに許し、違う方向に転換できていたなら、私の野球人生も変わっていたかもしれません。もちろんセットアップとして違う道を歩めた事は良かったですが、許す心を持っていれば、あるいはその恨む無駄な力を他に向ければ、その考える時間を他のポジティブな方向に向けていれば、もっと違う結果も出ていたかもしれません。私は自分自身ではある程度ポジティブに考えるタイプの人間ですが、それでも他人を恨んだりすることはありました。マルツ博士によればそれらは無駄なこと。確かに一瞬は皆恨みを持ったりすることもあるでしょうが、長い間その恨みを抱き続けては自分自身のためになりません。許す心は必要だというのは今になればよく分かります。
「自分の一番の長所に目を向けること」「自分の生き方を崩さないこと」については、私はある程度自信があります。今現在は、自由な時間もあるし、好きなことをやって自分の生き方を崩さないようにできています。プロ野球選手時代でも、ある程度の制約はありましたが、日本プロ野球からメジャーへの移籍など、私がある程度思い描いていた通りに生きることが出来たと思います。
ほとんどの人は会社があるから、今日も働かなければならないからと、自分自身を縛り付けています。その会社を選んだのは当の本人です。自分の決断で何でもできるのです。辞めるのも自由、新しい仕事を探したり、自分で起業したりするのも自由です。今の仕事を辞めなくても、考え方次第でその仕事を楽しいものにもできます。今の仕事を辞めるつもりになれば、思い切ったこともできるでしょう。思い切ったことが出来るようになれば、仕事の成果も上がるかもしれません。
この4つの文章の中に、人間(特に日本人)が仕事をしていく上で、あるいは生きていく上での大事なことがすべて述べられているように思います。私自身は他人を許すこと、自分自身を許すことにもう少し重きをおくべきだと考えています。
(本コラムは、2010年に執筆した内容に加筆・修正しています)
長谷川滋利