MLBは2020年レギュラーシーズンが終了し、いよいよプレイオフに入ります。この時期にプレイオフへ出場し、ワールドシリーズ優勝争いに参加できることは、メジャーリーガーにとっては一番やりがいのあることです。私もそのような経験を何度も積ましてもらいましたが、今回は私が経験した優勝争いの時のことについて述べたいと思います。
先発投手としてメジャーに挑戦した私にとって、メジャー移籍2年目のシーズンはブルペン投手としてのスタートとなったために何か物足りなさを感じながらの シーズンでした。しかし、マイナーには絶対に落ちたくないとのメジャー挑戦時の思いから、自分に与えられた仕事は何でもこなそうと考えていました。ただ、 シーズン初めは先発投手陣が頑張り、ロングマン(長いイニングを投げるリリーフ投手)だった私に出番はなかなか回ってきませんでした。
5月に 入り先発陣がそろそろ疲れてくると私の登板も次第に増えていきました。その上、クローザーであったトロイ・パーシバルの故障でセットアップのマイク・ジャーム スがクローザーに回ったため、セットアップが手薄になりました。負けゲームばかりに投げていた私に勝ちゲームでの登板が回ってきました。その試合はフェンウエイ パークでのボストン・レッドソックス戦だったが、際どい球をことごとくボールと判定され四球を出し、その上タイムリーを打たれるという散々な結果となりまし た。しかし、その試合以降どんどん登板機会が増えブルペン投手としてもなんとかやっていけるのではないかと自信がつき始めました。
その年の シーズン後半までエンジェルスはテキサス・レンジャースと猛烈な首位争いをして、しかも私はロングマン、セットアップ、時にはクローザーの仕事までするようになっていたので、とにかく毎日が必死でした。そのデッドヒートは9月まで続きました。レンジャースとの直接対決で負け越し、ちょっとエンジェルスは劣勢に 立たされました。それでもまだゲーム数も残っていたため、あきらめるには早かったです。それが決定的になったのは、試合数もあとわずかとなった状況での、地元アナハイ ムでのシアトル・マリナーズとの試合。この試合に負ければほぼ優勝がなくなるという状況の試合に、私の登板が当たり前のように回ってきました。その試合で強力 マリナーズ打線に私がつかまり、逆転されて優勝は遠のきました。
試合後、いつもはどんな状況でも落込むことはなかった私も、その日ばかりはロッ カールームの自分の席にうなだれて座っていました。それを見たパーシバルは私をトレーナー室へと連れて行きました。長い間優勝から遠のいているエンジェルス。久々 の優勝の可能性があったこのシーズンもその日で実質優勝がなくなったのだから、皆が落込んでいるに決まっています。てっきり私は反省会か何かが開かれるのか と思っていました。するとほとんどのレギュラー選手がそのトレーナー室へビール片手に集まってきて、「シギー、なぜお前が落込んでいるんだ。今シーズンはお前 がいたから優勝争いできたんだ」と言って慰めてくれました。
次々とチームメイトが私の肩を叩きながら一言、二言声を掛けてくれます。私は悔しさ なのか、メジャーリーガーとして選手に認められた嬉しさからなのか、涙が止まらなくなりました。その夜は、皆でシーズンの頑張りを称え合い、深夜近くまで飲み ながら話しました。最後は愛嬌のあるトレーナーが皆の前でパンツを下ろし、「シギー、これでも見て笑ってくれ」とお尻を見せてお開きとなりました。
私 はこの時はじめて「メジャーリーガーとして認められたんだ」と感じました。自分の満足していない仕事であるブルペンの仕事。先発がしたくてたまらない気持ち。 それらが全部吹っ飛んだ気がしました。「俺はこのメジャーに投げに来たんだ。先発であろうと、ブルペンであろうと関係ない。メジャーの投手として活躍するんだ」という確信めいたものがこの時はじめて芽生えました。
アメリカ・メジャーの選手は、当たり前の話、皆がプロ中のプロです。普段はオベンチャ ラなどは言わないし、褒めてくれることは滅多にありません。しかし、それぞれの選手のことはお互い見ています。私は先発投手になりたいがためにトレーニングルーム でも必死にトレーニングを積んでいました。クラブハウスに来るのもいつも早く、帰るのも皆よりも遅いことはしょっちゅうでした。それらを皆は見てくれていたし、 そのシーズンは結果も残せました。それを称える気持ちがこの日の皆の行動だったのでしょう。私が9年間メジャーで活躍できたのも、あるいは9年間しんどい遠征などにも耐えてこれたのも、この時に経験したプロである選手に認められたということが大きかったのです。その後も知らず知らずのうちに選手に認められる選手になりたいと考えて普段も練習していたし、プレーしていました。
この時期、プレーオフを賭けて戦っている選手たちを見るといつもこのことを思い出します。私は 9年間もメジャーでプレーしながら1度もプレーオフでプレーしたことはありません。しかし、世界一のベースボールが行われている、本当のプロの選手たちと優勝を賭けて何度も戦ったことは、今でも私の自信となっています。また特に最初の5年間であるエンジェルス時代は、プロの選手に認められるよう頑張りました。それが私のメ ジャー時代の財産です。
(本コラムは、過去に執筆した内容に加筆・修正しています)
長谷川滋利
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