生い立ち(中学3年生・前編)

中学3年生でのハイライトは、なんと言っても中学軟式野球大会での全国優勝です。野球を行っている中学が何校あるかは定かではありませんが、高校野球に比べても格段に多い事は容易に想像がつきます。その学校数の中で頂点に上り詰めるには、実力だけではなくそれプラスの何かが必要でした。それが運だったのか、それ以外のものだったのかは今でも定かではありませんが、その全国優勝が私の人生に大きな影響を与えたのは間違いありません。(続きを読む)

生い立ち(中学2年生)

ボール拾いとランニングばかりの中学1年生時代を経て、やっとまともな練習をさせてもらえる2年生となりました。正式には3年生が退いた1年生の夏から始まったのですが、その夏にいきなり合宿があったのを覚えています。泊まるのは校舎。蚊取り線香などを焚いていたが効果がなく、蚊に食われた思い出があります。夏場の暑い時期だったので、大変きつい合宿練習となりましたが、思い出すのは野球部の仲間との楽しい思い出です。(続きを読む)

生い立ち(中学1年生)

<2011年1月に執筆したコラムです> 私の育った地域では、上下(先輩後輩)の関係というものは小学校には存在しませんでした。中学校に進んではじめてそのような風習があるのに気づきます。私が育った加古川市米田町という町は、皆宝殿中学校に進むことになっていました。私が通っていた川西小学校(加古川という川の西にある小学校なのでこの名前がつきました。兵庫県川西市とは何の関係もありません)は、1学年3クラスの小さな小学校でした。宝殿中学校は高砂市米田町の米田小学校というジャンボ小学校と加古川市の川西小学校との2つの市にまたがった地域の組合立中学校という珍しい中学校でした。(続きを読む)

生い立ち(小学校高学年)

<2010年12月に執筆したコラムです> スポーツを通じてまず自信をつけていった幼少時代。小学校に入ってからは勉強で皆よりも一歩前を進むことが出来るようになっていたために、ますます自信を深めていきました。自信に満ちたまま小学校の高学年を迎えました。スポーツではもちろん学校で1・2を争うようになっていきましたが、勉強の方はこの時期になると英才教育を受けるような子供達も出だしたことから、いつも1番とはいかないようになっていました。(続きを読む)

生い立ち(小学校低学年)

生い立ち(小学校低学年)

<2010年12月に執筆したコラムです> 今後数回に分けて、私の生い立ちについて触れていきたいと思います。今回は小学校の低学年時代です。小学校に入学するまでは決して飛びぬけた運動神経を持っていたわけではない私が、父親の無謀な抜擢で一気に自信をつけたのでした。地元紙である神戸新聞には2年生で私の名前が出ました。(続きを読む)