一生懸命野球をやるということ、勉強するということ

どのぐらいやれば一生懸命、野球や勉強をやっていると言えるのでしょう。もちろん人によりけりですが、私の場合を育った環境とともに述べたいと思います。まず、野球ですが、小学生時代、2年生からソフトボールのピッチャーとしてやっていた私は、父親が監督をしていたこともあり、一年中休みなく野球をやっていた記憶があります。バケーションはというと、夏休みに有馬温泉へ1泊2日で行っていた位でした。ただその印象は今でも強く、時々今でも家族で行く位です。その他は、ほぼ野球漬け。楽しみもプロ野球テレビ観戦、高校野球観戦(夏の予選は、地元の高砂球場へ一人で見に行った思い出があります)でした。(続きを読む)

変化を恐れない

人は周りの環境が変わったり、自分自身で環境を変える事をあまり好みません。私がプロ野球選手時代にメジャーリーグ挑戦をしようとした時、「やめた方がいい」とアドバイスをくれた人たちはその類の人たちです。確かに私も普段は家にいることが好きで、あちこち飛び回って環境を変える事は好きな方ではありません。しかし、ここぞという人生の決断を迫られる時は大きな変化を恐れません。(続きを読む)

生い立ち(小学校まで)

これまで著書などで学生時代の私のことは述べる機会がありましたが、野球を始める前の私のことはあまり述べていません。メジャーリーガーになるような人は、物心ついた事からスーパーアスリートだったのではと思われている方も多いと思います。しかし、私はそうではありませんでした。子供に野球選手になってほしい、あるいはプロアスリートになって欲しいと願っている親御さんには参考になるのではないでしょうか?(続きを読む)

生い立ち(高校3年生、甲子園)

自分も少しは貢献しましたが、2年生の春・夏は先輩に甲子園へ連れて行ってもらった感じでした。この夏はもちろん自分たちで勝ち取った甲子園出場。これが最後の大会。勝ち続けたら嬉しい、負けても引退。高校生活初めての自由な生活。どちらにしても嬉しいWin-Winの状況です。その上、大会期間中は練習量がガクッと減ります。一緒にいる選手たちとも普段は練習量の多さでの疲れから、それほど会話を交わす余裕はありませんでしたが、甲子園の宿舎に入ってからは会話も増えます。宿舎の周りにはたくさんのファンも集まっていて、高校生活で初めてエキサイティングな日々がやってきました。(続きを読む)

生い立ち(高校3年生、夏予選)

高校3年夏の大会前。予選前恒例の地獄の2週間強化合宿が始まります。夏休み前なので、朝練習を2時間ほど行なって、授業に出席。授業終了後の午後4時から午後10時ぐらいまでは、たっぷりと午後の練習。私自身は、家から通うよりも睡眠時間が取れるので、合宿自体はそれほど苦になりませんでした。(続きを読む)

生い立ち(高校2年生秋〜高校3年生春)

甲子園に春・夏出場を果たした3年生が引退して、いよいよ私の学年が最年長になりました。しかし新チームになっても、私はエース番号を背負うことにはなりません。肩の状態はかなり良くなっていましたが、相変わらず田中副部長とファーム固めの日々が続いていました。ただ、バッティングを認められて、レフトのポジションのレギュラーは獲得して、打線でも上位を打つようになっていました。(続きを読む)

生い立ち(高校2年生、夏の甲子園編)

春の甲子園では1回戦負け、しかも初日第1試合という最短で甲子園を去るチームとなってしまいました。しかし、チーム自体は調子を落とすでもなく、練習試合などではほぼ負けないチームでした。私はというと、ピッチングの方は相変わらず肩の調子は良くない上に、フォームもつかめずにいました。バッティングは甲子園でもヒットを放ったこともあり好調で、春はファーストを守っていましたが、夏の公式戦に向けて外野を練習するようになりました。(続きを読む)

生い立ち(高校2年生、春の甲子園編)

1年生の夏場頃から肩の痛みを訴え始めた私は、数週間休んでは投げ、また痛みを再発して休みを繰り返すようになっていました。ピッチングでは中学全国優勝の実力を発揮できなかった私も、中学時代に自信をつけたバッティングでは力を発揮し始めていました。春の甲子園を賭けた秋季県大会、近畿大会は代打専門のバッターとして登録メンバーに選ばれました。もちろん、その間も田中副部長のピッチング指導が続きました。(続きを読む)

生い立ち(高校1年生)

入学式の日。それまでもうすでに、東洋大姫路の練習には参加していましたが、高校の制服を着て登校するのは最初の日でした。確かその当時PL学園も同じ制服だったと思うのですが、水兵さんが着るような紺色の前留めボタンではなく、チャックになっている制服。その制服が格好いいとか悪いとかの問題ではないのですが、制服を着た後に鏡で自分の制服姿を見て、急に涙が溢れてきました。その時、自分がなぜ涙を流しているのか自身で理解不能でしたが、今考えれば、中学時代、ずっと公立高校へ通い文武両道を貫き、その後東京六大学へ行こうと思っていたのが、全国優勝したために甲子園を目指す野球学校に入学する。文武両道と野球にほぼ集中という2つの選択肢の中で、もしかして間違った選択をしたのかもしれないというような気持ちがあったのでしょうか? その答えは今でも完全には解説できませんが、とにかく涙を流しました。(続きを読む)

生い立ち(中学3年生後編・高校選び編)

日本の中学生にとって高校受験というのは、それまでの15年間の人生の中で1番のビッグイベントとなるものです。私の場合は中学野球で全国優勝を果たし、野球進学する選択肢は大きく開かれました。周りからは羨ましく思われていたのでしょうが、私自身は真剣に悩む毎日だった事を記憶しています。主なところでは、1年生のKKコンビで全国優勝したPL学園。兵庫の強豪、滝川高校、東洋大姫路高校、四国からは明徳義塾高校など、たくさんの甲子園常連校から声をかけてもらいました。(続きを読む)